
赤シャツ派の一大拠点となった、タイ人が集う寺――西日暮里「タンマガーイ寺院」(1)
コロナ禍で海外旅行に出られない日々が続きます。忙しない日常の中で「アジアが足りない」と感じる方へ、ゆるゆる、のんびり、ときに騒がしいあの旅の感じをまた味わいたい方へ、香港、台湾、中国や東南アジアの国々などを旅してきた作家の下川裕治が、日本にいながらアジアを感じられる場所や物を紹介します。
話は2011年前に遡る。突然、日本にいるタイ人から電話がかかってきた。それも次々と。その数はざっと10人。誰もが同じことを口にした。 「タクシンが日本にやってきます。
荒川区にあるタンマガーイ寺でタムブンを行います。私たちもタムブンに向かうので、それに招待します」 タムブンというのは徳を積むことで、寺でタムブンとなれば寄進ということになる。
そのイベントに僕を招待してくれるというのだ。
タクシンというのは、タクシン・チナワット。
タイの元首相である。2006年のクーデターでタイを追われた。
タイには入国できない状態だったが、日本政府は彼へのビザを出した。
当時のタイは揺れていた。赤シャツ派と黄シャツ派の対立といえば、記憶に残っている人もいるかもしれない。
赤シャツ派がタクシン元首相を支持するグループである。
黄シャツ派はそれに反対する勢力で、富裕層や中間層、バンコクのエリート層が多いといわれていた。
両派の対立は激しかった。黄シャツ派によるスワンナプーム空港の占拠では僕も苦労した。
バンコクに飛行機で入ることができず、チェンマイから入国し、陸路でカンボジアに抜けて帰国したこともあった。
続いて赤シャツ派のバンコク中心街占拠へと発展した。
最後には非常事態宣言が発令され、軍が鎮圧に乗り出した。
2000人以上の死傷者が出、「暗黒の土曜日」ともいわれた。それが2010年のことだった。
路上占拠は終わり、バンコクは正常化に向かっていったが、対立が解決したわけではなかった。
そんな時期にタクシンが日本に来た。
「アジア」がいる場所──。
日本の場合、中国、韓国、台湾は長く、深いつながりがある。
台湾料理や韓国料理を口にできるといった表層的な「アジア」もその一部かもしれないが、日本に根を張ったアジアの人々の存在がある。
そこには戦争や植民地も絡んでくる。
いや、それ以前のこれらの国との交易や人の動きも、日本という国を形づくる要素でもある。
しかしタイとなると、その関係は少し変わってくる。歴史的なつながりは、中国、韓国や台湾よりは薄い。
その関係に変化が生まれたのは、30年ほど前のことではないかと思う。
日本で働くタイ人が急増するのだ。その多くが不法滞在だった。
男たちは人手不足の工場で働くことが多かったが、女性たちは夜の世界に紛れ込む。
タイ人スナックという言葉が生まれた。 そのあたりはフィリピン人とよく似ていた。
不法滞在の問題は、単に出入国管理法や経済問題で片づけられることではなかった。
日本の土を踏んだタイ人は、血が通ったアジア人だった。それはいまの技能研修性にもいえることだ。
こうしてアジアは日本に根を張っていく。
タクシンのタムブンに僕を招待してくれたタイ人たち。彼らの日本とのつながりの発端は不法滞在だった。
そしてその存在が、日本をタイの政治問題に巻き込んでいくことになる。
その話は次回で伝えようと思う。 まずはタクシンのタムブンである。
当日、最寄駅の常磐線三河島駅に降りると、数人のタイ人が僕を待っていてくれた。
皆、赤いTシャツ姿だった。なかには赤いハチマキ姿の女性もいた。
「まだ仲間がくるから、少し待ってて」 日本語でそういわれた。
それから30分ぐらい待っただろうか。次々にタイ人が集まってきた。
久しぶりに会った人もいるのだろうか。笑顔がこぼれる。
その集団は数十人に膨らみ、中心メンバーを先頭に歩道を歩きはじめた。
そのうちに、タクシンを支持するかけ声が響きはじめた。
その姿は、タムブンというよりデモに参加する集団だった。
そのなかにいる僕は完全にタクシン支持派、つまり赤シャツ派の日本人になってしまった。
しばらく進むとタンマガーイ寺の前に出た。タイ風の寺院を想像していたが、そこは一棟のビルだった。
寺の前の車道には、何台ものバスが停車していた。
長野県や福島県からやってきたバスだった。
日本全国のタクシン支持派がツアーバスを仕立て、ここまでやってきたのだ。
いましがた到着したバスからは歌声が響く。皆、ノリノリだった。
タイ人に促されて寺のなかに入る。
化粧のにおいにむせそうになった。
女性の多くがスナックで働いているのだろう。
ママ風の人が多い。妙に色っぽい。
ごった返す寺のなかでタイ風の食事がふるまわれる。
日本にはいくつかのタイの仏教寺院がある。それぞれ宗派が違う。
タンマガーイ寺はタクシンに近い寺といわれていた。
2016年になるが、バンコク近郊のタンマガーイ寺を警察がとり囲んだことがあった。
そのときの政権は反タクシン派。
タンマガーイ寺の僧侶にマネーロンダリングの疑いがあるというのがその理由だった。
しかしその情報を知った信者たちが寺に集まり、警察が境内に入ることを阻止した。
結局、警察は逮捕を断念している。
反タクシン派にとって、タンマガーイ寺は鬱陶しい存在なのだ。
2時間ほど待っただろうか。タクシンが現れた。皆、その姿をひと目見ようと近づこうとする。
寺のなかは大変な騒ぎになった。タクシンは、日本にいる中年タイ人女性のアイドルのようだった。
日本はタクシン派の海外一大拠点になっていることを知らされた。
そのタンマガーイ寺を訪ねた。タクシンのタムブン以来である。
あのときの喧騒は嘘のような静けさだった。タンマガーイ寺は瞑想で知られるようになっていた。
本堂に入ると、タイ人たちが座り、僧侶の説法に耳を傾けていた。静かな時間が流れていた。
下川裕治(しもかわゆうじ) 1954年松本市生まれ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)でデビュー。おもにアジア、沖縄をフィールドに著書多数。『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の森文庫)、『世界最悪の鉄道旅行』(新潮文庫)、『10万円でシルクロード10日間』(KADOKAWA)、「週末ちょっとディープなベトナム旅」(朝日新聞出版)、「ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅」(中経の文庫)など著書多数。 写真/中田 浩資(なかた ひろし) 1975年、徳島市生まれ。フォトグラファー。97年、渡中。ロイター通信社北京支局にて報道写真に携わる。2004年よりフリー。旅行写真を中心に雑誌、書籍等で活動中。
記事原文はこちら(新しいタブで開きます)
2021年1月16日 16:00 Yahoo!ニュースより